電車に乗っていて席をゆずったとき、
なにも考えずぱっと立ってゆずるひとは、
思いやりが身体のなかに入っている。
頭のなかで、
「ゆずるべきか。ゆずったほうがいいな。
でもはずかしいな。だれか他の人がゆずるかな」
そう考えている人の思いやりは、
自然に出たものではなくて考えて作ったものだ。
それは理性のなせるわざだし、
人が人であればこそなのでそれだって十分にりっぱと思う。
でも、
ふとした拍子に、無意識にぱっとでるものが、
本当にその人の身体に入っているものなんじゃないかなぁと思う。
「品がある」という言い方をするなら、
それも、この思いやりといっしょかなと思う。
作り上げた品のよさも、もちろんきれいだ。
思いやりとおなじように尊敬に値すると思う。
けれどきちんと身体のなかに、
「品」が入っているひともいる。
時間をかけてゆっくりと育てた「品」。
作り上げた品のように、理性がすっとんでも、
落ちない「品」。
作った品のよさは、
外見や言葉や雰囲気までも
ていねいに気配りが行き届いている。
でもだからこそ、ふとした瞬間にボロがでる。
ボロが出ると、とても目立つ。
ひとつの何かでくずれてしまったりする。
身体のなかにしっかりと入っている品のよさは、
どちらかというと、ぼろをまとっていてさえ光る。
それは外をどんなにくずしても、
けして落ちることがない。
品のよさって、そんなことな気がする。
そしていちばん大切なことは、
そのどちらも滞りなく、
身体のなかで品をそだてて、
かつ外側の品も、作り整えておくことだと思う。
それがいちばん出るのは、やっぱり言葉かなぁ。
2006/02/23 01:05 | 考えごと | コメント(0) | TRACKBACK(0) TOP
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